見て・歩いて・考えて
村越まり子が議会や日々の活動、区内外の様々な集会、勉強会、運動等に参加し、見たこと、考えたことをご報告いたします。
2003年
7月の見て・歩いて・考えて
 釜山と慶州の旅
                                   7/29(火)〜8/2(土)
 昨年ふぇみんのツアーで韓国に行った仲間6人で、今年も韓国に行ってきました。今回は釜山と慶州の2カ所をガイドも付けず自分たちだけで回る手作りの旅です。職業もバラバラ、それぞれがとても個性的なメンバーでしたが、韓国語ができる人、ガイドブックなどから見所、食べどころを探す人など、それぞれが特技を発揮し、4泊5日、とても楽しい旅になりました。
 移動は地下鉄やバスを利用しましたが、地下鉄の中などではかならずと言っていいほど韓国の方から話しかけられました。お年寄りにとってはイヤな思い出もあるのでしょうが、非難めいたことは言われず、日本に行ったことなどを楽しそうに話しかけてくれました。また
私たちが地図を広げているとすぐに声をかけて教えてくれるなど、韓国の人たちの優しさに触れることができたことは今回の旅の大きな収穫でした。

7/31 慶州の仏国寺(世界遺産の一つ)
             
釜山市内の移動は主に地下鉄を利用しました。これが切符の自動販売機ですが、コインしか使えないのが不便でしたが、1区間と2区間のみで2区間でも800w(約80円)と日本と比べてとても安いのに感激しました。ちなみにバスは一律700w(70円)です。
7/29 釜山博物館の近くの公園の東屋では、おばあさんたちのグループが歌をうたって夕方の一時を楽しんでいました。私たちも歩きながら歌に合わせて踊ったところ、上がるように誘われ、力強い歌に合わせてついつい何曲も踊ってしまいました。別れ際、ぎゅーっと抱きしめられました。
韓国戦争(朝鮮戦争)で亡くなった国連軍の兵士の墓地。私たちが墓地に着いた時はもう見学時間が終わっていましたが、門番の人が少しだけと言うことで入ることを許してくれ、おまけに日本語の説明書もくれました。
7/30 釜山のホテルは魚市場の直ぐ近くにあり、朝食は市場の地下の食堂で。魚の粗の入ったミソチゲの定食は3500w(350円)。キムチなど小皿が沢山ついているので、ついついご飯を食べすぎてしまいます。この定食を大きな丸いお盆に入れ、そのお盆を頭に乗せ、外の露天や近くの地下街へ出前をします。
「新羅スマイル」と名付けられた瓦? この模様があちこちの壁に描かれていました。
7/30 絵馬のように瓦にお願いを書いて寄進することができます。一枚10000w(1000円)でした。今回は誰もしませんでした。
仏国寺の建物の軒に描かれている絵は見事な彩色でした。日本の寺院とは違いますが、東照宮の色彩に似ているのでは。
装飾が見事な「多宝塔」の調査をするため、調査員が梯子車のようなものに乗って上から調べていました。さすが世界遺産です。
地面に字を書いて私たちに日本語で一生懸命説明してくれる「親切なおじさん」、実はお土産やさんの客引きでした。1時間ぐらい親切に説明してもらったガイド料がわりに、少々高い買い物をさせられてしまいました。
「三千仏殿」にはいろいろなポーズの仏像がいました。とてもユーモラスな仏様も多く、仲間もそんな仏様の真似をしてポーズを。
7/31 ドームで保護されている山頂の石仏をお参りするにはロープを伝って登ります。柵がないところもあり、スリリング。今回の韓国でのお寺参りでは、いつも「母が快復するように」と祈りましたが、願いが届くといいのですが。 
民族工芸村で陶器づくりを見学しました。なんの下絵もなく絵を彫っていきます。
  夜、ホテルの近くで野外で韓国舞踊を観ることができました。無料と言うことで大勢の観客が集ってきました。
8/1 慶州から釜山に戻り、夕方釜山タワーに登り市内を一望しました。下りてきた時にはすっかり陽も落ち、タワーが綺麗にライトアップされていました
タワーの展望台にあったものです。500wと言うことでみんなで交替でみましたが、貧しい田舎の様子などのスライドが次々と変わりました。
8/2 東京に帰る日の午前中の時間を利用して太宗台公園に行き、遊覧船に乗りました。ここは釜山の最南端で、晴天時には対馬が見えることもあるとのことですが、当日は霞んでいたので見えませんでした。右側の写真の展望台の近くは自殺の名所とかで、年間に何人か飛び降りるとのこと。
昼間の路地は食べ物やさんに早変わり。お客さん用のイスは、プラスチックの風呂用のイスのようなもの。
 シンポジウム 「戦争と暴力と抑圧」の現在 その根源とは何か
                                    7/19(土) 明治大学
 姜尚中さん、金子勝さんと言う二人の論客がパネリストということもあり、会場は一杯でした。
姜さんは「恩讐を越えて前に進まなくてはならないし、二度と戦争を起こしてはならない。そのためにはなんとしても多国間会議を」とこれまでも著書の中で述べられているように、あくまでも平和的な解決をすべきと力説された。
金子さんは「アメリカは経済悪化を戦争で乗り越えようとしている。共和党大会も9月に開催し、9.11を最大限に利用しようとしている。北朝鮮との戦いも利用する恐れがあるので楽観はできない」と厳しい見方の意見を述べられた。
ふぁみん泊まってシンポ in 大阪
                7/11日(金)〜13日(日) 
議会も終わった週末、婦人民主クラブ主催の「ふぇみんの泊まってシンポin大阪」に参加してきました。一泊目はふぇみんの仲間で、シングルマザーズフォーラムでも活動しているメンバーのお宅に泊めてもらったり、3日目は部落解放同盟の方の案内で大阪のフィールドワークをしたりと、これまでと違った大阪体験ができました。
 7/11日(金) 
夕食を食べに大阪の町に。有名なグリコの前でせっかく記念撮影したものの、どこにいるのやら全くわかりません。さて私はどこにいるでしょうか?
ふぇみんでは今年11月にアイルランドツアーを企画していることもあり、二次会はアイルランドパブへ。日本語より英語(アイルランド語)が飛び交っていました。
 7/12(土) とまってシンポ 1日目
シンポジウム会場の大阪市中央公会堂の直ぐ側の川岸にはホームレスの青テントが一杯。丁度お昼食時と言うことで、炊き出しにならぶ人たちで長蛇の列ができていました。
会場の近くを歩いていたら、ビルの間に和風の建物がありビックリしました。近くに行ってみると、緒方洪安の塾の跡ということがわかりました。
シンポジウム会場は大正初期に立てられた建物で、修復をし集会等に貸し出されています。この建物以外にも周囲には古い建築物が何棟も残っていました。
文京の文化環境を活かす会のメンバーであり、、大塚女子アパートの保存運動にも参加していた私としては古い建物が修復され、活用されている事例を見ると感激し、大いに力づけられます。
会場設営までの時間を利用し、建物内を勝手に見学しました。1階の大ホールでは年金のシンポジウムが開かれるとのことで、重厚なホールにぼつぼつ参加者が集まっていました。
古い布貼りの椅子、仕切のある2階席など、新しいホールとはまた違った趣のあるホールでした。大正時代によく行われていた政治演説会などがこんな所で開かれていたのではと、勝手に想像してしまいました。
建物の構造上、一般のエレベーターだけでは不十分と言うことなのでしょうか、階段ホールにあるほんの少しの段差を解消するため、車椅子用のリフトが設けられていました。
建物を保存するため、壁等に張り紙などを貼ることが一切禁止されています。そこで部屋にあるピアノを利用して垂れ幕を飾り付けました。ピアノの上に置くと言うことで、ひまわりの生花には一工夫をしたとのことでした。
辛淑玉さんの講演までの時間を利用し「覚えて帰ろうピースソング」と言うことで、ピースウォーカーズと定塚さんの歌唱指導がありました。定塚さんの「武器を捨てて」はピースウォークでのふぇみんのテーマ曲でもあり覚えやすい歌ですが、、ピースウォークの歌は難しく、「覚えて帰ろう」とはいきませんでした
170センチ、男性に間違われることもあり、小さいころから強いものに立ち向かっていったと言う辛さん、近くでお会いするとやはりカッコいいです。「私がNHKで一番嫌いな番組は何でしょう」と言うクイズから始まった講演会、やっと会場から正解がでましたが、「テレビ体操」とのこと。理由は出ている人が皆、髪の色も顔の色も同じ、若くてすらっとしたスタイルのいい人だけ。障害者やお年寄り、体型も様々な人が出るべきでとのことでした。正解が出るまで会場からあげられたNHKの番組についても、辛さんの辛口コメントが次々と浴びせられました。その後は「京大」「おすぎとピーコ」「たけし」巨人の星」「西城秀樹」などなど、一見軽い話題のようで、でもどれもが「差別」「人権」「暴力」と言った重いテーマを含んだ話しで、勢いよく、しかも面白く話され、アッという間に時間がたってしまいました。立ち見まで出た200人の参加者が、笑いながら、でも、ときどきしんみりと「差別」などを考えさせられた辛さんの本音トークでした。閣僚の女性蔑視発言や北朝鮮問題についても話してもらえると良かったのでは、と言う意見が交流会ででましたが、私も同様の意見をアンケートに書きました。
会場設営前に仲間たちと記念撮影。ふぇみんが主催した沖縄、南京、韓国のそれぞれのツアーで一緒だった多くの仲間たちと今回のシンポで再会することができました。 講演会の後,、同じ会場で交流会が開かれました。お弁当を食べながらの自己紹介、アピールの後はみんなで河内音頭を汗だくになって踊りました。ふぇみんの替え歌も登場。
 7/13(日)フィールドワーク  大阪こてこて多文化ツアー〜部落・コリアン              
芦原橋駅前には太鼓を作るお店があります。太鼓作りは皮を使用するということからか、部落の人たちの仕事でした。なお、ガラス細工、人造真珠づくりも、熱くて危険と言うことで部落の人たちが多く従事していました。
芦原橋にある新しい団地。芦原橋の団地は、以前までは部落解放同盟の協議会が団地入所の判定をしていましたが、今は市が判定をしているとのことです。この団地の派手な色は文京区では景観の点で問題になるのではないでしょうか。
人権博物館(リバティ大阪)近くの保育園。芦原地区の保育園は部落の人たちは優先的に入所できたとのこと。部落以外の人も入園することはできたにもかかわらず、入園する人数は少なかったとのことです。
「この芦原病院が大阪市を赤字に追い込んだ」と共産党の人たちが非難したことで有名な病院です。共産党と部落解放同盟とは敵対する関係とのこと。差別や貧困と立ち向かうことでは共通しているのように思うのですが。
リバティ大阪は日本でただ一つの人権博物館です。旧浪速部落の人たちが「教育が大切」と自分たちでお金を集めて作った旧栄小学校の校舎を活用して造られました。部落のことだけでなく、様々な人権差別についての展示があります。
博物館の中に、旧栄小学校の模型がありました。人権博物館の入り口にあたる部分が小学校の玄関で、その他の部分は建て直したのことです。05年に再度リニューアルをする予定。
トイレの表示は男性用も女性用も同じ青色です。トイレの表示と言った細部にも注意を払っていつところは、さすが人権博物館です。
芦原橋駅のホームにあった掲示です。旧浪速部落の真ん中を通る電車の駅ならではの掲示です。
大阪環状線で鶴橋駅に行くと、そこはまさに異国でした。鶴橋朝鮮市場は狭い通路の両側にチマチョゴリや布団を売る店、キムチや豚足などを売る店が軒を連ねています。また、在日の金成子さんの案内で少し離れた御幸森コリアンタウンや平野運河にも足を運びました。昨夏に続き、今月下旬にまた、韓国(今回は釜山周辺)に行く私にとっては予行演習のようでした。
自治体議員研修 議会のしくみ・まちのしくみ
                 7/8(火)  主催:NPO 東京ランポ
私が昨年の第1回定例会で「文京区でも真の住民参画、真の市民自治をと文京区でと」一般質問をした時に参考にさせていただいたのが辻山幸宣先生の論でした。その先生から「分権新時代の自治体議会」と言うお話を伺いました。自治体は本来T字構造であるべきで、そのT字構造では議会が与党と言うことはあり得ないとの先生のお話し、区長が出す提案に対し何でも「イエス」の文京区の与党と言われる議員たちに聞かせたいと思いました。 
今年1月に防災・まちづくり特別委員会で講師をお願いした小泉秀樹先生は「まちづくりと議会」と言うテーマで話されました。今の都市計画の意思決定において、行政の裁量を排除することと、規制緩和が一緒になっていて、さらに画一的な規制緩和になっている。都市計画の意思決定に市民同志が自由な議論や意向表明をおこなう参加民主主義が取り入れられなければならないとのことでした。文京区でも区民がマスタープランを作って提案できるようになるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。
3人目の講師は現職の三鷹市の職員の方でした。予算書、決算書の見方から、何をどう質問したらいいのかまでを懇切丁寧に説明してくださいました。新人議員の時に聞けばもっと良かったのではと思いました。