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| 8月7日(日)〜10日(水) 原水禁大会長崎・平和祈念式典へ |
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| 母の3回忌をすませての長崎入りとなったため、原水禁大会の初日には間に合わず、2日目の分科会からの参加となりました。長崎は初めての訪問と言うことで、「「見て・聞いて・学ぼう”ナガサキ”−証言と映像による被爆の実相と平和運動」と言う基本的な分科会に参加しました。 |
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| 分科会が始まる前に、アメリカが投下した劣化ウラン弾により白血病などの被害が急増しているイラクから、原爆医療が進んでいる長崎にがん・白血病を学びに来ている二人の医師と、それを援助しているNGOの代表からの話がありました。 |
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| 話の間に、劣化ウランによる被害を受けたイラクの子どもたちの写真が会場を一周しました。私も含め、参加者はその悲惨な写真に大きなショックを受けました。二人の医師は8月下旬にはイラクに帰国します。長崎で学んだことを生かし、一人でも多くの子どもたちの命が救われることを祈るばかりです。 |
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| ご自身も小学生の時に被爆した山川剛さんは、長年、小学校の教師として平和教育を熱心に進められました。戦時中の社会状況、被爆した時の様子などのお話で、私の心に一番残ったのは「戦争で真っ先に犠牲になるのは真実」との言葉でした。 |
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| 私が参加した分科会の会場は長崎放送内のncc&スタジオでしたが、会場近くは長崎の文化施設が集まっている地域で、他の分科会の会場となった長崎ブリックホールも素晴らしい建物でした。 |
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| 午後からは遺構巡りに参加するため、集合地の爆心地公園に移動しました。途中、明日の式典の準備で大忙しの平和記念公園に立ち寄りました。日差しがあまりにも強いので、格好などは気にせず、ハンカチを首に巻いて日焼を防ぎました。 |
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| 爆心地公園の慰霊碑には、明日の慰霊祭を前にたくさんの千羽鶴が供えられていました。 |
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| ドイツの若者たちが始めた「国際法を守る壁」プロジェクトの木の壁が慰霊碑を幾重にも取り囲んでいました。 |
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| それぞれの木のブロックには平和へのアピールや絵が描かれています。 |
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| 爆心地のすぐ側の地層。原爆で一瞬にして破壊された瓦、鍋や食器などが堆積している様子が見られます。 |
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遺構巡り、私は浦上天主堂(爆心地より500メートル)、長崎医大を巡るコースに参加しました。
天主堂の50トンの鐘楼は、35メートル離れた川に吹き飛ばされました。浦上天主堂はキリスト教禁制の間も弾圧に負けずに信仰を守り、1873年流罪を解かれて浦上に戻った信徒らにより30年の歳月をかけ、1925年に完成しました。当時、東洋一と言われていました。
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| 爆風で首などが破壊された像。熱で変色しています。 |
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| 遺構巡りの案内役は被爆二世の会の方々で、熱心に案内をしてくださいました。 |
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| 戦争中、お医者さん不足のため勉学期間を短縮して多くの医学生を送り出していた長崎医科大学。爆心地から700メートルと言うこともあり、ほとんどの建物や施設が破壊され、教授や学生など858人が亡くなりました。付属病院から医大に入る正門ある石柱は、秒速280メートルの爆風で3トンの柱が大きく傾きました。 |
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| 被爆手帳友の会の平和祈念会館には、多くの原爆被爆惨状絵図が展示されています。長崎は軍港があったこともあり、一般の人は写真を撮ることは禁じられていたとの。被害の様子を描いた絵の一枚一枚、原爆の凄まじさを実感させてくれます。 |
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| 朝鮮人犠牲者の追悼碑ー長崎にいた多くの朝鮮人も原爆の犠牲となりました。 |
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| 長崎原爆資料館を見学 |
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| 被爆60周年を記念し、テレビでは爆心地近くで被爆し、背中一面大ヤケドをおいながらも回復した少年のドキュメント番組「赤い背中」も放送されました。 |
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| 9日、平和祈念式典の前に県立総合体育館で行われた「まとめ集会」に参加しました。「国際法を守る壁」のプロジェクトを提案したドイツの青年たちもスピーチしました。 |
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| 被爆60周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列、長崎市長の挨拶に心を打たれました。 |
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| 長崎では、多くの若者が原爆や平和について学び、自ら活動に取り組んでいます。若い世代の皆さん。原子爆弾によって無念の死を遂げた人々に、深く思いを巡らせてください。一人ひとりが真摯に過去の歴史に学び、平和の大切さや命の尊さについて考えてみてください。長崎市民は、皆さんの平和への取組みを支援します。世界の市民やNG0と手を結び、ともに平和の鐘を長崎の空から高らかに響かせようではありませんか。 (長崎市長 伊藤一長さんの挨拶から) |
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| 平和式典後、文京区の仲間たちと別れ、長崎在住の大学時代の同級生と30年ぶりに再会。友人の運転で遠藤周作文学館やキリシタンの里である出津文化村を訪れました。ド・ロ神父の設計施行で建てられた白亜の美しい出津教会。明治15年、外海地方の主任司祭として赴任したフランス人宣教師ド・ロ神父は、布教はもちろん困窮を極めた村の人々の魂と肉体の両面から救うため農漁両面に力を注ぎました。 |
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| 市内に戻り、稲佐山展望台より長崎の市内を一望。この長崎市、原爆では約300万人の命が奪われました。 |
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| 友人とのホテルでの夕食後、一緒に隣のグラバー園を見学10月10日までは夜間開園を行い、ライトアップも。 |
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| 10日は一人で長崎市内を歩きまわりました。まずは、ホテル隣の大浦天主堂に。 |
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| 天主堂の内部、木の柱と白い壁で、とても落ち着いた雰囲気でした。 |
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| ホテル近くにはオランダ坂や洋館が保存されている地域があり、昔の趣を残しています。この建物は児童養護施設として現在も使われています。 |
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| 展示館として活用されている建物もあります。 |
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| 長崎はガラス細工も盛んで、体験をさせてくれる工房もあります。 |
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| 旧香港上海銀行長崎支店は、記念館として公開されています。内部の天井もとても綺麗。 |
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| 旧香港上海銀行長崎支店前の道路は里親制度できれいに整備されています。 |
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| 長崎港を一周する観光船に乗船しました。長崎と言えば、造船。大きなドッグが稼動中。 |
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| 湾の入り口近く建っているマリア像、船の安全を守っているのでしょうか。 |
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| かつてオランダ商館があった出島、国の指定史跡「出島和蘭商館跡」として現在、復元作業が行われています。 |
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| 一番船長の部屋。和室にかわいらしいベッドが置かれています。 |
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| 出島全体の様子はミニチュアで再現されています。 |
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| 長崎は教会だけではなく、古くからのお寺も多くあり、堂、門、鐘楼などが国宝や国の重要文化財に指定されています。その一つ、国宝に指定されている崇福寺の第一峰門。 |
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| 国重要文化財に指定されている興福寺の大雄宝殿(本堂) |
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| 興福寺では、長崎に原爆が投下された日にアメリカで生まれた女性が始めた「平和のための地蔵プロジェクト」で集まれられた地蔵さんが一杯描かれたキルトがたくさん飾られていました。 |
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| 眼鏡橋近くの護岸は、コンクリートから石積みに改修中でした。 |
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| 長崎市内観光は100円で乗れる市電を大いに利用。鳴滝塾舎跡地に建てられたシーボルト記念館も訪問しました。 |
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